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 竹澤健介×安藤勇太 「SESSION
  (写真左から竹澤、安藤)

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 2006年12月25日、大学生という若い世代の人間にとってはクリスマスという華やかな日に、安藤勇太はなんと早稲田大学のキャンパスにいた。このクリスマスというオトコにとっては勝負の日に、である。だが、それだけの気持ちを注ぐことがあったのだ。

 箱根駅伝まで1週間あまりとなったこの日、竹澤健介は快くこの対談の話を受け入れてくれた。徹底した風邪予防のためにマスクをしてあらわれた彼には、大会への気負いはまったく見られなかった。

(文章:安藤勇太、写真:深井洋平)


 やはり、この質問から聞いてみた。


安藤(以下A):なんで走り始めた?
竹澤健介(以下T):ただ単に水泳が嫌だった。

 意外であった。走ることの楽しさを語ると思ったが、走り始めた理由は意外とそこではなかった。


A:水泳は何で嫌いだったの?
T:やらされていたから嫌いだったのかな。普通に始めてたらわかんないけれど、多分わざわざやってないかな。何でもそうだけど、やらされたことって嫌々じゃん。じゃあ自分が俺これやるって言ったら、逃げがない。


 とても単純のように思える理由だが、ここに健介のアスリートとしての真髄が現れているように感じた。彼が力強く述べた「自分が決めたことには逃げがない」という言葉に迷いは見られなかった。今回のSESSIONで健介はこの考えを何度も口にした。確かに、強制的にやらされることは誰もが嫌だと思うが、自分が決めたことに対してここまで強く責任感を持つことは誰もが出来ることではない。この単純かつ明確な彼の理論が、大学2年にして国際千葉駅伝の日本代表アンカーを務めるまでの成長をもたらしたのだろう。


A:走りだしたのはいつぐらい?
T:小学生かな。市民大会みたいなものにはたまに出ていた。

A:小学校の頃から速かった?
T:元々ね、好きだったからやったとかじゃないからね。走れたし、速かったし、勝てたら嬉しいしね。単純だったかも、最初は。他は全部苦しいことだから、基本的には勝つことしか楽しみってないじゃん。だから勝てたときはその分嬉しいし、だから走り始めたのかな。


 勝つ喜びと勝つための心構えはすでにこの頃から備わっていたようだ。中学校入学から陸上部に入り、本格的に走ることと向き合っていく。


A:中学で部活に入って、もまれて速くなっていったって感じ?
T:中学の時は、遊び。遊び感覚。たまたま、試合に出たら結果は出たけどやってたことはたいしたことなかった。実際にチームも弱かったし。
A:チームが弱かった分、自分でかなり意気込んでたとかなかった?
T:そうだね、部内とか地区とかでは敵なしだった。県大会とか地域大会に出るとそうでもなかったけど。チーム内で考えると駅伝って感じでもなかったし、各自でやるって感覚だね。でも、皆と同じメニューだし、そんなに変わらなかったかな。


 勝ちへのこだわりをはっきりとは口にしなかったが、中学卒業後、陸上の名門・報徳学園高校への進学を選択している。中学校の3年間で走ることの楽しさと走ることへの自信を確かなものとしていったのではないだろうか。健介の走ること、そして勝つことへのこだわりは高校を選択するところから始まっていた。



A:そこ(報徳学園高校)を選んだ理由は?
T:高校は西脇工業高校っていう候補がもう1校あったんだけど、俺の1つ上の学年も結構強かったし、ここで自分が活躍しても別に普通だなって思った。だったら、こっち(報徳学園高校)で“竹澤健介”ってモノを覚えてもらった方がいいと思った。自分自身も当然のことに当てはまるのが嫌だった。
A:確実性のある高校に行くよりも、「こっちでひと花咲かせてみようかな?」見たいな感じだね。
T:うん、そういうのもあったし、勉強の面もあった。やっぱ工業系の高校に行くよりも普通科に行きたかった。工業について興味なかったし、それを一番考えた。陸上のためだけに高校行くわけではないからね。


  「自分が活躍しても、別に普通だな」この言葉を聞いたとき少しワクワクした。傲慢のように感じる一言かもしれないが、活躍することだけでは満足できず普通ではないことをしたいと思う気持ちは自分の成長段階に似たものを感じた。単純に活躍することだけを目標とするのではなく、どういう風に活躍したいかまで理想をつくりあげる。もちろん活躍することが約束されているわけではない。しかし、そこには自信とそれを裏付ける努力があったのだろう。



A:大学選びは結構迷った?
T:あんまり迷ってない。(早稲田大学に)行く為に陸上やっていたから。
A:なぜ?
T:なぜかはよくわからないけど、小さいときにうちの監督(渡辺康幸氏)と山梨学院のマヤカっていう選手がずっと競っているときがあって、その時に兄貴は山梨学院で、俺は早稲田を応援していた。そして、いつのまにか「俺早稲田に入るわ」、見たいな感じになっていた。早稲田に行きたいって思っていたら、いつの間にかここまできた。
A:それは何歳頃?
T:小学3年ぐらいかな。でも、その時は陸上で来ようとか全然思っていないよ。そんなに頭のいい大学とも知らなかったからさ。
A:テレビで見て、「こっちの方ガンバレ!」みたいな?
T:そう、「こっちの方がかっこいいわ!」みたいな。そうこうしてたらいつの間にか来ちゃったけど。
A:10年越しだね。
T:たまたまだけど。
A:結果そうなってたって感じだよね?
T:そうだね。
A:その時から早稲田と縁があったんだね。じゃあ結構陸上をガッツリやっていって、大学で駅伝に出たいって感じだった?
T:とにかく早稲田に入りたかった、駅伝をやりたかったどうこうより。早稲田大学に凄く憧れていたし、入学できればいいやって。だから、入るまでは箱根も1回出場できればいいと思っていた。
A:それが1年にして華の2区走ってるんだもんね?
T:たまたまだよね。
A:ぃやいや、たまたまで走れるモンじゃないよ。笑) 凄いね、面白いな。


 健介と早稲田との出会いは10年も前にあった。彼が早稲田大学に入ったことは偶然のようで必然のように感じた。しかし、彼はそれを“たまたま”という4文字で表現した。箱根駅伝で1年にして早稲田大学の2区を走るという、彼が無邪気に応援していた渡辺監督以来の快挙を成し遂げたこともその4文字で表現した。“たまたま”……彼が口にしたこの簡単な言葉の中にある微妙な真意はわからないが、やはり早稲田に入るべくして入り、2区を走るべきして走ったと思えてしまうのは自分だけだろうか。

 こうして早稲田大学に入学した健介だが、入学当初はさほど注目される選手ではなかった。しかし、入学してからタイムをどんどん縮め、1年にしてエースと呼ばれるまでになった。そんな彼が目覚しい成長を遂げた新しい練習、学問、生活の場、早稲田大学。練習に追われる毎日を想像していた人には信じられない意外な一面があった。


A:練習で授業に出れない時とかない?
T:ある! 教職の授業をとってるから(スポーツ科学部では高校の教員免許を取得できるが、そのための授業は学部指定単位とは別になっているため、卒業単位とは別の区分の授業を受けなくてはいけない。その授業はだいたい遅い時間帯に組み込まれている)。でも俺は勉強を優先する。
A:部活では何も言われないの?
T:言われないね。まぁ、大学生だからね。どっちを優先するかといえば、学業だから。
A:教職の授業は大変じゃない?
T:大変だね。でも、やっぱり視野は広がるし、可能性が広がるから。教職がなければ教師って言う道は絶対消えるわけだからさ。広がった方がいいじゃん。教師にはならないと思うけどね。笑)親も教師だし、それもあるかもな。


 今回のSESSIONで健介が成長してきたひとつのキーとなるものを感じた。それは自分もここまで競技を続けてきた中で感じてきたことである。ハードな練習をしながら教職の授業までとっていることに驚き感心した。しかも特別に教師になりたいと思っているわけでもないというのに。練習に負担をかけてでも、自分の視野や可能性を広げようとしている彼は、練習を休むことの不安に負けることなく、自分を総合的に成長させている。 競技に追われ、目の前の目標しか見ることができなくなってしまっている競技者とは違う。競技のことだけでなく自分の可能性や競技を引退した後のセカンドキャリアのことまでしっかりと考えながら競技に打ち込む、その人生における先見と競技に対する余裕こそが彼をここまで成長させてきたのではないだろうか。


彼の生い立ちをなぞったこの後、話はスポーツの枠を超え、人生観へと進展していく。そこには竹澤健介という若干20歳の学生でありながら、日本を代表するランナーの人間性が浮かび上がってくる。


<続く…>

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◆竹澤健介×安藤勇太「SESSION」(PDF版)
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竹澤 健介
早稲田大学スポーツ科学部2年
兵庫県出身

昨夏のヨーロッパ遠征で、
5000m日本歴代3位を記録。
箱根駅伝で2年連続2区を任される早稲田駅伝のエース。
安藤 勇太
早稲田大学スポーツ科学部2年
愛知県出身

小学校1年で一輪車を始め、日本はもとより 世界のトップ で活躍しつづけるユニサイクリスト。
昨年8月にスイスで行われた世界大会で100mと 1500m部門で優勝。